2009年02月18日

転職して成功した スポーツ選手



転職して成功したスポーツ選手

尾崎 将司
プロ野球選手 → プロゴルファー

高校時代には徳島県立海南高等学校(現在の徳島県立海部高等学校)で投手として出場した1964年春のセンバツで決勝戦に進出し、小川邦和のいた広島県立尾道商業高等学校に勝利して初出場初優勝を成し遂げた。

1965年(ドラフト制度前)、池永正明らと共に、西鉄ライオンズに投手として入団した。しかし、入団後に池永を見た際「こんなピッチャーがいたんじゃ、俺なんかピッチャーで飯が食える訳が無い」と打者に転向。二軍で4番を張るものの、一軍では目立った活躍もなく、1968年に西鉄を退団。プロ野球最後の年に当時の打撃コーチだった花井悠に、『ゴルフのプロになったらいいんじゃないか』と言われ、プロゴルファー転向を決意する。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋


ジャイアント馬場
プロ野球選手 → プロレスラー
プロレスラーに転向する以前は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)であった(そのため、日本プロレスのエース時代、TV中継でアナウンサーが意図的に「ジャイアンツ馬場」と呼んでいた事がある)。
日本のプロレス界では力道山、アントニオ猪木と並ぶビッグネーム。日本プロレス史上最大の巨体を持ち、CMやテレビ番組などでも人気を博した。

長嶋茂雄とは、「馬場ちゃん」と呼ばれるほどの親友であり(プロ入りは馬場のほうが先だが、年齢は長嶋のほうが上)、長嶋がジャイアンツに入団して初めてキャッチボールをした相手は馬場である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋


赤井英和
プロボクサー → 俳優・タレント
中学・高校時代、かなりの『ヤンチャ』で喧嘩に負けた事がなく、大阪一帯にその名は響き渡っていた。ただし自分より弱い者には全く手は出さず、常に「ここで一番強いの誰や! 勝負せい!」といった道場破り的な喧嘩を繰り返していた。最も自伝では両手の指に数えられるくらいしかしたことないと主張をしている。またある時には、電車内の通路に足を投げ出して座っている不良達を見るや「世直しや!」とその足を次々と蹴り上げ、降りた駅で十数人に囲まれるも全員を倒すなど、その武勇伝は枚挙にいとまがない。

プロになってからの赤井は、攻撃型ボクサーとして当時の日本記録であるデビュー以来12試合連続ノックアウト勝ちという快挙を成し遂げ、その試合スタイルから「浪速のロッキー」という愛称が付いた。

赤井は引退後母校・近畿大学のボクシング部コーチなど後継者育成を行っていたが、1988年に映画『またまたあぶない刑事』にゲスト出演し俳優デビューを飾る。エンドロールには、名前の隣に「(浪花のロッキー)」のテロップがある。そして1989年に上映された阪本順治監督の『どついたるねん』で主役デビュー。
現在は東京では俳優としての活動が主体である。大阪ではバラエティ活動を継続している。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋

posted by 転職して成功したい人 at 15:28| 転職して成功した スポーツ選手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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